kinoko_gwc’s blog

文才ねぇんだわ

自己肯定感と容姿について

最近Twitterのタイムラインで、ミスコンについてのツイートがよく流れてくる。

毎年様々な大学が話題となり、非常に華やかなイベントだなと思う。

よく、ミスコンについて自己主張・自己満足の強い人だけが出場するだのナルシストだの揶揄する人がいるが、私は自分の容姿に対して誇りを持っている彼女達を心から羨ましいと思う。

 

なぜかというと、単純に自分の容姿に自信がないからだ。以前よりは自分を認められるようになったけど、やっぱり好きじゃない。

昔なんか本当に酷かった。鏡を見るのも嫌いだったし、写真を撮られるのがこわかった。

自分の顔が嫌いすぎて泣くこともあった。

 

容姿が嫌いすぎて泣くって、さすがに今思うと少し異常な気がする。

大学へ入って心理学を学び、当時の心境や考えの過程を思うと、当時は一般的な美醜の基準とはまた違った水準で自分の顔が嫌いだった気がする。

今からできる考察として、何がその水準に強く結びついていたかというと、幼少期に得られなかった自己肯定感だと思う。

 

私の母は若い頃は結構美人で、私が生まれてくる時、自分に似て美人な子が生まれるはずだとたいそう期待していたらしい。

ところが実際に生まれてきたのは、おじいちゃん(夫側のお父さん)にそっくりな女の子だった。

(生まれた時なんかみんな猿だろと思っていたので、中学の時アルバムを見返したら、新生児の時の私は本当に祖父そっくりだった。隔世遺伝こわい。)

 

母は私のことをいつもからかって「鼻が低すぎて空気孔としての役割を果たしてないね」「目が細くていつも寝てるのかと思った」「顔いつもむくんでてパンパン」「前歯出てるからネズミみたいだね」「あんたのおでこニキビで汚いね」などといつも言っていた。

彼女は絵が上手かったのでよくプリキュアの絵を描いてもらっていた。時々私の似顔絵も描いてもらいたくて頼むと、プリキュアの可愛らしい絵のとなりに清少納言が描かれた。子どもながら非常に傷ついた記憶がある。

 

今思うと私のことをかわいいねと言ってもらった記憶が全然ない。少なくともここ10年は1回も言われていない。むしろ、相変わらず容姿に対してからかってきたり、微妙な体重の増加に目くじら立てるように注意してきたりした。(←これは今でも)

 

今の世代だと、幼少期に親から与えられる言葉が呪いのように子供に影響を与えるのはみんな知っていると思う。私の親の世代は多分あまりそういう考えが浸透していなかったのだろう。

私は後遺症として今でもその言葉を忘れられない。他人から「かわいいね」と言われても親の言葉を思い出して打ち消されてしまう。

 

ゆえに私は自己肯定感が低いと思う。

本来なら親を中心に作られていく自尊心や自己肯定感をこの歳になって自分自身で固めていくのは割ときつい。みんなどうしてるんですか?

 

親を選べないのは悲しいことだよ(反出生主義)

もしね、もし、万が一自分が母親になれたとしたら、自分の子どもの容姿をずっと褒め続けたい。勘違いさせても良いと思うし、ナルシストくらいが生きやすい世の中だよ。

 

書くの疲れたからまとめるけど、何が言いたいかっていうと、直接人の容姿をブスとか言っちゃダメってことです。影で言ったり、心の中で思うぶんには自由だとしても、直接言うのは絶対だめだよ。「そういうこと言って良い仲だから大丈夫w」とかいう人、勝手に気心知れた気になってる人はいつかサヨナラ〜されますよ。

 

来世はEddie Redmayneになりたい。(性別違う)